2024年8月14日水曜日

田中英道◉日本の原爆実験は北朝鮮・興南で成功していた(1945年8月12日)

田中英道が語る原爆・核戦争・オッペンハイマー① 社会&共産主義の失敗、左翼最後の砦が「戦争」だ!
田中英道が語る原爆・核戦争・オッペンハイマー② 米マンハッタン計画の標的は初めから日本だった!彦坂忠義・仁科芳雄・荒勝文策・野口遵、日本の核開発の真実

確かにドイツのハイゼンベルクなどの科学者の核開発に対抗した(田中英道さんによると日本帝国の北朝鮮での核開発があり、だからアメリカは最初から日本がターゲットだった…)マンハッタン計画においてオッペンハイマーが原子爆弾の生みの親ってことになっているけど、彼の恋人が共産党員だったので、その原子爆弾製造の情報がソ連に流れないように殺害されたことを知った。
アメリカの核実験成功するのは1945年7月12日だったか…その1ヶ月後には日本も核実験が成功していたということだ。そしてその核爆弾製造の情報がソ連に流れて、1949年にソ連は核実験に成功したって流れ…。
つまり、本当の事実は彦坂忠義の論文をニールス・ボアが知ってたようだ。日本との核開発競争ということ、だからそこからの流れを考えなければならないってことだ。

現在では、当時の原子爆弾(10万人を殺せる)の1000倍の破壊力がある水素爆弾の時代…もうこれこそ使えない武器。日本は二発でジャンジャン…。
だからこそ実践的に使えるのはプーチンが言ってた小規模の核爆弾って話になってるのかな?
オッペンハイマーは核爆弾で世界は平和になると言っていたが、確かに大きな戦争が核武装してる国同士では大きな戦争が不可能になっている。それほど恐ろしいことになっちまうのだね。恐ろしいことになっちまった後の世界は、宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』ということなのですねぇ…。
オッペンハイマーは水素爆弾開発には反対し、水爆開発を進めた科学者にはめられ政治的に追放された…政治って個人の思いでは、現実的には悲しいかな無力なんだよね。それに平和を念仏みたいに唱えたって、一向に平和にはならないってことも、悲しいかな国際政治の現実なんだよなぁ…。

国際政治の現実から言うと、自国を平和的に守るには核武装って話は世界の常識になってる。インドもパキスタンもイスラエルも北朝鮮も、そしてイスラム教シーアのイランも孤立する自国を守るため核開発…、WW2の戦勝国からなる国連の常任理事国(みんな核を持ってる)3枚舌4枚舌の非道な連中に対抗し、思うがままにされないようにするには核武装は常識って訳だなぁ…。
現代世界の地政学は、軍事的空白は無いし、それが起きると必ずそこを埋める覇権国が侵入してくる。アメリカが徐々に弱体化している今、東アジアの覇権はもちろん中国が狙っている。日本はそこで独立的な軍事力がないと、中国に支配されてしまう未来が待ってることになってしまう…。中国はランドパワーの国だったのが、「真珠の首飾り戦略」の構想でシーパワーを強化してインド洋や南シナ海など航路を確保しようとしているようだ。それに対して益々力を付けている南アジアの覇権国インドは、日本やベトナムやマレーシアやイランやアメリカなどと協力して「ダイヤモンドネックレス戦略」で対抗しているようだ。

日本はアメリカの核の傘なんて嘘っぱちなんだし、トランプ政権になったらトランプの支持の下で日本も核武装はできる可能性も出てくるんだから、田中英道さんが言うように伝統文化を守るためにも、世界と対等に話ができるようになるためにも、核武装は必須かも? 中国や北朝鮮は核を背後に、日本との交渉に高飛車だし、事大主義の韓国はドラえもんのスネ夫のように中国という虎の威を借りて日本を調子に乗って叩くし…日本の政権は中国媚び媚び、アメリカ媚び媚びだし…。噂だともうすでに日本ではイスラエルのやり口のようにこそっと核はあるって話も…死んだふりしてるのか? 少なくとも数ヶ月で日本は核武装はできるとのことらしい。

残念だけど未だに残酷で汚い世界では核武装は当たり前なのだが、茂木誠さんによると核武装するっていうとすごい反対が出てくるので(平和念仏左翼宗派は大騒ぎってことだろうけど)、まず非核三原則の放棄って手も独立するための手段として、つまり防衛・対抗の手段や脅しになるってことのようだ。

【参考動画】
討論】今こそ日本は核武装を![桜R3/12/7]

2024年8月8日木曜日

【質問コーナー】視聴者からの様々な質問に答えました(伊藤貫)

笑っちゃうほど共鳴します。勇気をいただきました(^_-)-☆ 
天皇は日本の自然と僕たちの精神を繋ぐ神子(みこ)みたいな「人間」で、大嘗祭などを共同体の代表として行ったりして、間違ってるかもしれませんが…たぶん二つの現実…権力(フェノメナ)と権威(ヌメノン)のバランスを歴史的にとってきた日本文化の生きる知恵や美みたいなものだと思ってます。

日本の哲学的基盤は、田中英道先生が言うようにその伝統によってかなりしっかりしているのでがっかりしないでも良いように思う…脈々と日本的古典が流れている。それは安心なのだが、世界の中でそれを生かしていくには、今のようなお金の実学だけの一元論でなく、もう一度足元の自然と共存する哲学を見つめ直せば良いだけのことだし、戦争をしないために核武装し、それによって国土や日本的哲学を取り戻し、独立するべきだと思う…。

笑っちゃうけど、伊藤貫さんが学校の先生に「お前なんかには無理だ」と根拠なく言われて可能性を潰されなかったのは賢明だった。
根拠のない批判ばかりして相手をディすり貶め、可能性の芽を摘んでしまう大人が負の連鎖を促し、相手を貶め合戦のバトルの渦に巻き込み、反論するすべを知らない子供たちへの虐めが横行してしまう。大谷翔平の二刀流を批判した張本勲みたいにだ。

数日前聴いたラジオ深夜便アーカイブスで、ロケットを打ち上げるワークショップをしていた北海道の北町ロケット電機メーカー社長植松 努さんも、この可能性の芽を摘んでしまう大人たちの話をしていた時、ふと思い出したのは、僕が全国回って似顔絵を描いていた頃、時々というか結構な確率で
「似てねぇ、変な絵!」ってディスって来る子供達がいた。
僕は「ちょっとこっちへ来て、観ててもイイよ」って招き寄せると、大人しく黙って僕のすぐ横に立って描く様子を観てる。みんな同じ反応だ。なんだぁ…、この子真面目で、傷つけてしかコミュニケーションを取れない子達なんだ…というのがぼくの経験で結論だ。誰がこの子達の可能性と素直な気持ちを踏みにじったんだ! こんなコミュニケーションが世の中に横行してる。不幸ですね

無理やり何かをさせられていて、尊重されず周りから何かを潰されてるから、相手に対しても同じに尊重せずに軽視し潰すようなことしかできないのだなぁ…。

だからつまり、コツコツと着々と自分が興味があることに情熱を注ぐ…これがみんなにとって最高で一番! 
下記の内田樹先生の話…身体知(日本で言えば縄文文明以来培われてきた日本語の中にも含まれてます)という歴史的身体的にアーカイブされて自分自身の中に眠ってる賢明な感覚を大切に生きて行きましょう。僕たちは知る前に、すでに体の中で知っていて、それに耳を傾ければイイだけなのです。
「人生に、文学を」オープン講座 in  神戸女学院大学 2017年6月10日(土)第8講 内田樹さん「身体と知性」

※下記の養老孟司先生の話も面白い。自分の意見だけをギャーギャー発するだけの子供の社会じゃなく、人の話を聞くことができる胆力のある大人、ユーモアと知恵があり傍に居るだけで安心できる存在としての大人の話…。でもミヒャエル・エンデのモモの負担が大きい、ギャーギャー社会のオカシイ社会になってるようで…。
そして社会心理も個人心理も分離できないし、個人の中での夢の世界や歴史や物語…と個人や社会の現実も…河合隼雄さんが言うように両方すべて現実。
養老孟司「河合隼雄を語る」