笑っちゃうほど共鳴します。勇気をいただきました(^_-)-☆
天皇は日本の自然と僕たちの精神を繋ぐ神子(みこ)みたいな「人間」で、大嘗祭などを共同体の代表として行ったりして、間違ってるかもしれませんが…たぶん二つの現実…権力(フェノメナ)と権威(ヌメノン)のバランスを歴史的にとってきた日本文化の生きる知恵や美みたいなものだと思ってます。
日本の哲学的基盤は、田中英道先生が言うようにその伝統によってかなりしっかりしているのでがっかりしないでも良いように思う…脈々と日本的古典が流れている。それは安心なのだが、世界の中でそれを生かしていくには、今のようなお金の実学だけの一元論でなく、もう一度足元の自然と共存する哲学を見つめ直せば良いだけのことだし、戦争をしないために核武装し、それによって国土や日本的哲学を取り戻し、独立するべきだと思う…。
笑っちゃうけど、伊藤貫さんが学校の先生に「お前なんかには無理だ」と根拠なく言われて可能性を潰されなかったのは賢明だった。
根拠のない批判ばかりして相手をディすり貶め、可能性の芽を摘んでしまう大人が負の連鎖を促し、相手を貶め合戦のバトルの渦に巻き込み、反論するすべを知らない子供たちへの虐めが横行してしまう。大谷翔平の二刀流を批判した張本勲みたいにだ。
数日前聴いたラジオ深夜便アーカイブスで、ロケットを打ち上げるワークショップをしていた北海道の北町ロケット電機メーカー社長植松 努さんも、この可能性の芽を摘んでしまう大人たちの話をしていた時、ふと思い出したのは、僕が全国回って似顔絵を描いていた頃、時々というか結構な確率で
「似てねぇ、変な絵!」ってディスって来る子供達がいた。
僕は「ちょっとこっちへ来て、観ててもイイよ」って招き寄せると、大人しく黙って僕のすぐ横に立って描く様子を観てる。みんな同じ反応だ。なんだぁ…、この子真面目で、傷つけてしかコミュニケーションを取れない子達なんだ…というのがぼくの経験で結論だ。誰がこの子達の可能性と素直な気持ちを踏みにじったんだ! こんなコミュニケーションが世の中に横行してる。不幸ですね。
無理やり何かをさせられていて、尊重されず周りから何かを潰されてるから、相手に対しても同じに尊重せずに軽視し潰すようなことしかできないのだなぁ…。
だからつまり、コツコツと着々と自分が興味があることに情熱を注ぐ…これがみんなにとって最高で一番!
下記の内田樹先生の話…身体知(日本で言えば縄文文明以来培われてきた日本語の中にも含まれてます)という歴史的身体的にアーカイブされて自分自身の中に眠ってる賢明な感覚を大切に生きて行きましょう。僕たちは知る前に、すでに体の中で知っていて、それに耳を傾ければイイだけなのです。
■「人生に、文学を」オープン講座 in 神戸女学院大学 2017年6月10日(土)第8講 内田樹さん「身体と知性」
※下記の養老孟司先生の話も面白い。自分の意見だけをギャーギャー発するだけの子供の社会じゃなく、人の話を聞くことができる胆力のある大人、ユーモアと知恵があり傍に居るだけで安心できる存在としての大人の話…。でもミヒャエル・エンデのモモの負担が大きい、ギャーギャー社会のオカシイ社会になってるようで…。
そして社会心理も個人心理も分離できないし、個人の中での夢の世界や歴史や物語…と個人や社会の現実も…河合隼雄さんが言うように両方すべて現実。
■養老孟司「河合隼雄を語る」
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