2022年6月12日日曜日

中島岳志(政治学者)×島薗進(宗教学者) ナショナリズムと宗教を問い直す

ナショナリズムと宗教の構造は似てるって、(祭りごと)…そういうことかぁ。
何だか深い森に迷い込んで、僕の弱い頭じゃヘルマン・ヘッセの霧の中の孤独に陥りそうだ。なんか危うさも感じる…。樹海で迷える子羊になってしまった僕だが…
周りを見ると誰かが作ったものに囲まれ、使ってることに気づくとちょっと救われ、齢90を超える老婆のありがとうありがとうが口癖のその姿も思い出した。
岩田慶治さんのアニミズムの本は好きだったなぁ…やっぱり素朴だったんだぁ(^^ゞ

自分の過去を振り返ってみると…1988年似顔絵を始めた頃、僕が好意で居候させてもらっていた成城学園の友人が父子で真如苑に入っていて、僕に「さいとうさんは頭だけで考えてるだけで、宗教のことはホントに解ってないよ」って言われたので、フィールドワークのつもりで入信した(今も鼻から信者じゃないが、たぶん日本の人口より信者が多いのは僕みたいな奴がいるからだと思う)。その頃は開祖の伊藤真乗が生きてて講話があったので、立川の本山まで友人に連れられて参加した。映像などは映画監督の高橋 伴明が演出、伊藤真乗の涅槃像も観たが立派な駄作で何も感じない。アレレ…創価学会の文化祭に友人に誘われ行った時の違和感。僕独り、集団に囲まれ、その一人一人が左から右まで同じことを言ってくる。折伏(しゃくぶく )というらしい。なんか大学の自治会を占拠してた弱者の味方の左翼の残党たちに洗脳された学部生のお坊ちゃんお嬢ちゃん達も思い出す。マルクスマルクスって言って、なんも勉強してない実態…左から右まで同じこと繰り返す…自分の頭で考えないし、自分の言葉で喋らない。

この違和感は何だ??? それから仏教系だけじゃなく、その当時流行っていた神道系の真光・神慈秀明会やキリスト教系の新興宗教にもフィールドワーク。どこにも違和感…集金システムのカラクリも見えてきた。
その後、似顔絵を始めてしばらくして、まあ世の中世紀末などと騒がれてた頃、僕は新宿サブナードという新宿の地下専門店街でNTTと似顔絵テレホンカードでコラボしていたが、地上に出てみると新宿駅西口前ではオウム真理教の選挙街宣車が「ショーコー、ショーコー、ショコ、ショコ、ショーコー、アサハラァ~ショ~~コ~~~♪」の歌と共に、象さんの帽子を被った可愛らしい女の子たちが選挙街宣車の上で踊っていた。一方新宿駅東口の映画館の前にはエヴァンゲリオンを観ようとすごい長い列を作っていた。

僕はオウム真理教の麻原に胡散臭さを感じ、世界系と言われるエヴァンゲリオンにも興味が無し。そんなどこにも入れない感じの自分の感覚…。今もあんまり変わりなし…。
ここ数十年をみると共同体なるものを破壊し続けている…足元が不安になるといろんな宗教が受け皿になるということか。45年周期って説を唱えてる人がいたが、破壊はあと13年、2035年ぐらいまでは続くのかなぁ…。この年は、このままだと日本が中国属国化してしまうだろうと伊藤貫氏が予言してる年と重なる…(>_<)

【参考資料】
NHK出版『別冊100分de名著 ナショナリズム』大澤真幸氏が『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン著)、島田雅彦氏が『君主論』(マキャベリ著)、中島岳志氏が『昭和維新試論』(橋川文三著)、ヤマザキマリ氏が『方舟さくら丸』(安部公房著)について、その内容と読みどころ、「いまなぜ読むべきなのか」という今日的意義を熱く語りました。

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