2022年10月25日火曜日

【伊藤貫の真剣な雑談】第9回「プラトン哲学と国家の独立」[桜R4/10/8]

日本人は親鸞の悪人正機説を考えてみても、人間の中に「仏性」があると信じて、悪人こそ救われるべきだといった考えがあり、そんな性善説でやって来たと思う。
明治維新以降、それこそ西欧に開き、付き合わなくちゃならなくなった。そこには紛争死史観の性悪説の連中とどう付き合うかってことになってきちゃった。
そっちが先に攻めたし、負けたんだから、すべて取られても仕方ないねって、普通に考える…。パワーオブバランスで、核を持たない国は真面に相手にしないよって、世界の強国は普通に考える。
今の日本政府は、相手の言うまま世界に合わせるだけ…の政治哲学しかないので、やられっぱなしで利用されっぱなしになる。アノミーなのだ。
啓蒙思想により人間中心主義なった西欧と、日本の精神文化の付き合い方を考えざるを得ないことになってきている…ということは、日本の古典的精神文化をもう一度確認して自分に引き寄せ、発信して、今生きていく意味、存在価値(所有価値じゃなく)を見出して行くことが大事だと感じる。

プラトンによると、民主主義やってるとホントに優れた政治家が出てこないってのは、優れた洞察だなぁ…笑った。徳のある生活を日本人がするには、今の人間欲望主義の上っ面な頭でっかち尻つまりの金塗(カネマミ)れの狂った世界じゃやっぱり核武装しなきゃならないのかなぁ…。

この世は地獄であり、天国でもある。そん中で生きるには、欲塗(ヨクマミ)れの人間は、自然を宇宙を核に、循環(動的平衡・川の流れは絶えずして…の無常観)を意識しながらホントは生き抜かねばならない。エコなどという嘘っぱちの正義のSDGなんて惑わされながら、僕たちはバランスを保ちながら生き続けなければならない。持続可能性なんてみんな嘘っぱちの金塗(カネマミ)れ欲望の固まりだとしても…。人間は犬に食われるほど自由って、ちゃんと日本の過去にはあったわけだし、受け入れなくっちゃ。 
脳化社会は情報でコントロール可能だと思ってるだろうけど、言葉によってすべて解るって思うだろうけど、その前提は「すべて同じってことにしよう」って、人間だけの約束があるに過ぎない。すべて同じにすることで飛躍的に世界を扱い易くしたし、発展もしたのは確かだけど、ホントは多種多様な膨大な生き物が自分の体の中に暮らし、すべて一瞬一瞬の流れの中を動的平衡を保ちながら泳いでるに過ぎない…ので、動的平衡が崩れエントロピーが増大して、僕という動的平衡がバラバラになって世界に戻って行く時には、どうせならみんなの前で、ハイチーズ!…笑って死にたいなぁ。

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