2022年12月30日金曜日

聖徳太子の新しい国造り 【真・日本の歴史】

権威と権力の関係をうまく説明してる。蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺した権力闘争の凄まじさを目の当たりにした皇太子の聖徳太子は、権威と権力を分離した。今の政教分離? その結果、十七条憲法を作った。みんなダメ人間なんだから、お互い様って気持ちで自分を勘定に入れて接しなさいって感じ? そんなんだったらみんな萎縮せず、自分らしく機嫌よく生きられる…さすが仏教政治! 賢人政治が一番良い政治形態って言ったのはプラトンだったと思うが、ネストリウス派(景教・原始キリスト教)秦河勝(はたのかわかつ)が教えたのかなぁ…。厩戸皇子の厩戸ってイエスキリストとも被ってるのが面白い。

権威としての天皇の統治システムは、今まで日本に続くことになる。途中、対抗する権力としての平家を倒した源頼朝は、天皇を倒して権力と権威を手にして「皇帝」になっても良かったのだが、賢明にもそうしなかった。聖徳太子のことが頭にあったのか…権威としての天皇にお伺いする形で日本を治めることとして、今に至るまで天皇という権威が日本に残ることとなる。

縄文時代が日本を作ったって話は、また次回。

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